横浜地方裁判所 昭和41年(ワ)633号 判決 1967年12月08日
原告
小池真一
他四名
代理人
杉原尚五
佐々木恭男
同復代理人
沢野順彦
被告
岡戸豊
右代理人
池谷利雄
被告
倉田重久
右代理人
石川功
主文
原告等は各自原告小池真一に対し金八四三、八四三円及び内金八〇八、六四三円に対する昭和四〇年九月一日以降、内金三五、二〇〇円に対する昭和四一年五月一日以降各完済に至る迄、原告小池桃江に対し金二五二、〇〇〇円及びこれに対する昭和四〇年六月一日以降完済に至る迄、原告小池一正に対し金一五〇、〇〇〇円、原告小池久子に対し金四〇、〇〇〇円、原告小池千代子に対し金四〇、〇〇〇円及び右原告等三名の各金員に対する昭和四〇年四月三日以降完済に至る迄それぞれ年五分の割合による金員を支払え。
原告等のその余の請求を棄却する。
訴訟費用はこれを五分し、その一を原告等の、その四を被告等の各負担とする。
この判決は、原告勝訴の部分に限り、仮に執行することができる。
事実
第一、当事者の求める裁判
原告等訴訟代理人は、
一、被告等は各自原告小池真一に対し金九五九、五七二円及び金九二四、三七二円に対する昭和四〇年九月一日以降、内金三五、二〇〇円に対する昭和四一年五月一日以降各完済に至る迄年五分の割合による金員を、原告小池桃江に対し金三五二、〇〇〇円及びこれに対する昭和四〇年六月一日以降完済に至る迄年五分の割合による金員を、原告小池一正に対し金二〇〇、〇〇〇円、原告小池久子に対し金五〇、〇〇〇円、原告小池千代子に対し金五〇、〇〇〇円及び右原告等三名の各金員に対する昭和四〇年四月三日以降完済に至る迄年五分の割合による金員を支払え。
二、訴訟費用は被告等の負担とする。
との判決及び仮執行の宣言を求め、
被告岡戸及び同倉田各訴訟代理人は、
一、原告等の請求を棄却する。
二、訴訟費用は原告等の負担とする。
との判決を求めた。
第二、請求原因
一、事故の発生
被告岡戸は昭和四〇年四月三日午後七時頃、普通乗用自動車(5神は八一六四)を運転し、藤沢市江の島二一六番地先丁字路交差点を江の島大橋方面から湘南港方面に向け左折進行した際、湘南港方面より直進中の原告小池真一運転の軽四輪自動車(標識番号6相模の二三一四)に衝突し、よつて右真一及び右軽自動車に同乗していた真一の家族に対し、次のような傷害を負わせた。
(一)原告真一 前額部打撲、胸部打撲、右膝蓋骨皮下骨折並膝関部血腫
(二)原告桃江 頭部挫傷、顔面挫切創、胸部打撲、左下腿挫切創
(三)原告一正 頭部顔面挫切創、脳震盪症
(四)原告久子 顔面打撲(内出血)、左足打撲(内出血)
(五)原告千代子 胸部打撲
二、被告岡戸の過失
前記丁字路に弁天橋方面から進入する自動車は時速三〇粁に制限された上右折することを禁止され直進することは不能で左折することだけが許されていたところ、被告岡戸は右制限時速をはかるに超えた時速約八〇粁以上で右丁字路へ進入し自車前方の注視を疎かにして直進を継続した過失により折しも右丁字路内を被告岡戸の進行方向と直交する方向に進行していた原告車の右前方側面に衝突するに至つたもので被告岡戸は民法第七〇九条に基く不法行為責任を免れない。
三、被告倉田の運行供用者
被告倉田は、自己及びその家族の乗用のために本件普通乗用自動車を所有していたものでその次男たる達明よりその使用を許されて被告岡戸が運転中本件傷害事故を惹起したものであるからこれによつて発生した損害につき自賠法第三条の運行供用者責任を免れない。
四、損害の発生
本件事故の発生によつて、原告等に生じた損害は次のとおりである。
(一) 原告真一の分 合計金九五九、五七二円
(1) 休業による逸失利益金一六〇、〇〇〇円
原告真一は、昭和四〇年四月一日八興商事株式会社に入社し、同社から月額五〇、〇〇〇円の給与を受けることになつていたが、本件傷害事故によつて同社を欠勤したので昭和四〇年四月分から同年八月分迄の給料合計金二五〇、〇〇〇円を取得できなかつたので、同額の逸失利益による損害を蒙つたがその補償として被告岡戸の養父岡戸靖夫から金九〇、〇〇〇円の支払を受けたのでこれを控除した残額は金一六〇、〇〇〇円となる。
(2) マッサージ治療代金三五、二〇〇円
原告真一は下川針灸院に対しマッサージ治療代として合計金三九、二〇〇円を支払い同額の損害を蒙つたが、被告岡戸の養父岡戸靖夫からその内金四、〇〇〇円の弁償を受けたのでこれを控除した残額は金三五、二〇〇円となる。
(3) 温泉療養費金六二、三七二円
原告真一及びその余の原告ら家族が本件事故による傷害の療養のため昭和四〇年八月上旬山梨県下部温泉に六日間逗留し、その際の宿泊費五八、三七二円及び交通費四、〇〇〇円の合計金六二、三七二円の支出を余儀なくされ同額の損害を蒙つた。
(4) 付添交通費金二、〇〇〇円
原告久子を倉田病院に通院させた交通費として金二、〇〇〇円(茅ケ崎市浜須賀と平塚駅間のバス往復料金一〇〇円の二〇回分)の支出を余儀なくされ同額の損害を蒙つた。
(5) 慰藉料金七〇〇、〇〇〇円
原告真一は前記受傷のため湘南中央病院へ救急入院し、次いで同年四月八日から被告倉田の経営する倉田病院に転院して治療を受け同年七月四日退院したが退院後も働らくことができず同年九月一二日迄マッサージのため下川針灸院に通院し九月一三日から漸く会社に出勤するようになつたがその後も時々マッサージの治療を受け今日に至るも膝の屈曲は一五〇度に止まり一生涯通常人のように正座したりかがんだりできなくなり日常生活において甚しく苦痛を感じているが、これら同原告が本件受傷の結果蒙つた精神的、肉体的苦痛に対する慰藉料としては金七〇〇、〇〇〇円が相当である。
(二) 原告桃江の分 合計金三五二、〇〇〇円
(1) 家事労働力の喪失による損害金五二、〇〇〇円
原告桃江は本件受傷のため昭和四〇年三月三日から同年五月二三日迄(五二日間)家事労働に従事できなかつたが、主婦の労働力の価値を一日金一、〇〇〇円と算定し右期間中の労働力の喪失により金五二、〇〇〇円の損害を受けた。
(2) 慰藉料金三〇〇、〇〇〇円
原告桃江は原告真一の妻であるが、前記受傷のため湘南中央病院に救急入院し次いで昭和四〇年四月八日から倉田病院へ転院し、この間顔面挫切創部の縫合(三針)左下腿挫切創部の縫合(二一針)等の治療を受け同年同月二八日に漸く退院し退院後も約二五日間自宅で療養し五月下旬頃から漸く家事に従事できるようになつたが、入院後五月二三日迄親族から看護や家事のために援助を受けその心労は筆舌に尽し難いものであつた。これら同原告が本件受傷の結果蒙つた精神的、肉体的苦痛に対する慰藉料としては金三〇〇、〇〇〇円を相当とする。
(三) 原告一正の分 金二〇〇、〇〇〇円
原告久子の分 金五〇、〇〇〇円
原告千代子の分 金五〇、〇〇〇円
原告一正は事故当時小学六年生であつたが前記受傷のため湘南中央病院へ救急入院し、次いで昭和四〇年四月八日から父母と共に倉田病院に転院しこの間顔面挫切創部の縫合(九針)等の治療を受け同年四月二〇日に退院し退院後も三日間自宅で療養した後漸く通学できるようになつたが現在でも縫合部の傷痕は消えていず、原告久子は事故当時中学一年生であつたが、前記受傷のため湘南中央病院に於て手当を受け次いで昭和四〇年四月四日から同年同月三〇日迄中央病院および倉田病院に通院して治療を受けたがこの間約一週間休校し、原告千代子は事故当時小学一年生であつたが前記受傷のため湘南中央病院に於て手当を受け次いで昭和四〇年四月四日から同年同月八日迄中央病院に通院して治療を受けたが本件事故のため約一週間休校した。右原告等が本件受傷の結果蒙つたこれら精神的、肉体的苦痛に対する慰藉料としてそれぞれ前記金額が相当である。
五、結論
よつて原告等は被告等に対し各自原告真一において金九五九、五七二円、原告桃江において金三五二、〇〇〇円、原告一正において金二〇〇、〇〇〇円、原告久子、同千代子において各金五〇、〇〇〇円及び原告真一の請求する損害のうち前記四(一)(1)(3)(4)(5)の各損害はいずれも昭和四〇年八月末日以前に出費し、又は発生したものであり、四(一)(2)の損害は昭和四一年四月末日以前に支払つたものであるから、四(一)(1)(3)(4)(5)の損害合計金九二四、三七二円については昭和四〇年九月一日以降、四(一)(2)の損害金三五、二〇〇円については昭和四一年五月一日以降、それぞれ完済迄民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求め、原告桃江の請求する損害はいずれも昭和四〇年五月末日以前に発生したものであるから、昭和四〇年六月一日以降完済迄民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求め、原告一正、同久子、同千代子の請求する各損害金は不法行為の日である昭和四〇年四月三日に遅滞に陥つたのであるから、昭和四〇年四月三日以降完済迄民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。
第三、請求原因事実に対する認否
一、被告岡戸の答弁
(一) 請求原因一項の事実については原告等の受けた傷害の部位程度等の正確なことは知らないが、その余の事実は認める。
(二) 請求原因二項の事実については本件現場の制限速度が時速三〇粁であつたこと、丁字路の関係で直進は不可能であつたこと、原告車と被告岡戸の運転する車が衝突したことは認めるが、その余の事実は否認する。
(三) 請求原因四項の事実については不知。
二、被告倉田の答弁
(一) 請求原因一項の事実については不知。
(二) 請求原因三項の事実中被告倉田が本件自動車を所有していたことについては認めるがその余は否認。
(三) 請求原因四項の事実中原告真一が昭和四〇年四月八日倉田病院へ入院し七月三日退院したこと、病名が右膝蓋骨々折であること、原告桃江が昭和四〇年四月八日倉田病院へ入院し四月二八日退院したこと、病名は顔面挫創であること、原告一正が昭和四〇年四月八日倉田病院へ入院し四月一九日退院したこと、病名は前頭部前頸部挫創であること、原告久子が昭和四〇年四月八日より四月二五日迄倉田病院へ通院治療を受けたこと、病名は顔面打撲症右大腿部打撲擦過傷兼皮下出血であること、原告千代子が昭和四〇年四月八日より四月一〇日迄倉田病院に通院治療を受けたこと、病名は右鎖骨部打撲傷であることは認めその余は不知。
第四、被告らの主張
一、被告倉田の主張
本件事故は被告倉田が被告車の運行供用者として運行中の事故でない。すなわち、本件自動車は事故当時被告倉田の自宅裏庭にシートをかけて置いてあつたが、被告岡戸は右車に鍵が付け忘れてあつたのに乗じて、被告倉田の了解をうることなく、ほしいままに右車を運転し、その運行中本件事故をみるに至つたものである。被告倉田は本件自動車を長男和久、次男達明が使用する為、買い与えたもので他の者は使用せず、被告倉田も右二名の息子に他に貸す事は堅く禁じ、二人とも大切にして他に貸した事実はない。また、被告岡戸の両親は被告倉田の自宅の近隣に住み、被告岡戸の母が被告倉田の妻と遠縁に当る関係で面識はあつたが、境遇、職業等の差で別に親しい交際はなかつた。
右のとおり、被告岡戸の本件自動車の運転は、被告倉田の本件自動車に対する支配力を排除してなされたもので、被告倉田は本件事故当時において本件自動車の運行供用者の地位になかつたものである。
二、被告岡戸の主張
本件事故の発生については原告等にも次のような過失があつた。
(一) 通行方法の規制違反
原告小池真一は事故現場において中心線より右側を通行していたものである。仮に中心線より左側を走つていたとしても、道路の中心線に極めて接近して運行していたものである。
(二) 乗車定員違反
原告小池真一運転の自動車の乗車定員は四名であつたが、原告等は乗車定員に違反して五名の者が乗車していた。もつとも、原告小池一正、同千代子は当時一二才未満であつたので、一・五分の一の割合によつて計算される訳であるが、それでも乗車定員を超えていた。
本件の場合に於いて、原告等が乗車させてはならない人員を乗車せしめていた事によつて、原告車の運転の自由が失われ、ハンドルを左に早目に切るとか、或は早く停車することを不可能にしていた。
第五、被告岡戸の抗弁事実に対する認否
一、抗弁(一)の事実については否認する。
二、抗弁(二)の事実については、原告小池真一の運転する自動車には五名が乗車していたとの点は認めるが、その余は否認する。
第六、証拠<省略>
理由
一事故の発生と原告等の受傷
原告等は原告真一の運転する軽四輪自動車で、昭和四〇年四月三日午後七時ごろ、湘南港方面から江の島大橋方面に向け進行中その車が藤沢市江の島二一六番地先丁字路交差点で被告岡戸の運転する普通乗用自動車に衝突されたことは被告岡戸との関係で争なく被告倉田の関係でも<証拠>によると右衝突の事実が認められる。そして、右衝突によつて原告等が傷害を受けたことは、その程度を除き、被告岡戸においては明らかに争わないから自白したものとみなし、また被告倉田との間においても<証拠>を併せ考えれば右負傷の事実を認めるに足り、他にこれを妨げる証拠はない。
二被告岡戸の過失
およそ自動車運転者たるものは、たえず前方左右を注視し、進路の安全を確認するとともに進路の状況に応じ適宜速度を調節して進行し事故の発生を未然に防止すべき業務上の義務があるというべきであるところ、本件現場の制限速度は時速約三〇粁であつたことは当事者間に争いなく、右争いない事実と<証拠>によれば、被告岡戸は前方の注視が不十分のまま制限速度を超えた時速約七〇粁の高速で進行し、本件事故現場である丁字路交差点の手前約一三米の地点に達し始めて該交差点に気づき、あわてて急制動の措置をとりハンドルを左に切つて左折進行したが中心線を越えて道路右側に進出したため、本件事故を惹起したものと認められ、他にこれに反する証拠はない。右事実に照せば、被告岡戸は本件事故発生について前記注意義務に違反した過失の責を免れないものといわなければならない。
従つて、被告岡戸は本件事故によつて生じた損害を賠償する義務がある。
三被告倉田の運行供用者責任
また、本件自動車は被告倉田の所有であることは当事者間に争いがなく、これによれば被告倉田は被告車を自己のため運行の用に供しうべき地位にあつたということができる。しかるに、被告倉田は、被告岡戸による本件被告車の運行は被告倉田の了解を得ないでなされた運転であつて、本件事故当時においては被告倉田は被告車の運行供用者たる地位を有していなかつたと主張するので判断するに被告倉田は被告車を長男和久、次男達明が使用するため買い与えたものであることを自陳し、右事実と<証拠>を総合すると次の事実を認定することができる。
被告岡戸と被告倉田とは近隣に住み、被告岡戸の養母と被告倉田の妻とは遠縁にあたる間柄であり、被告岡戸と被告倉田の次男達明とは一緒に鳩をかつたり、レコードを聞いたり、ドライブにいつたりして親しい仲であつた。そして、達明は被告岡戸が自動車学校にいつていたことから、被告岡戸に免許をとつたら車をいつでも使つてもいいという話をしていた。そこで、被告岡戸は、昭和四〇年三月二九日に免許をとつたので、以前達明と約束していたことから、四月三日達明に自動車を貸してもらおうと思つて被告倉田の家にいつた。あいにく達明は旅行で不在だつたので被告岡戸は達明の了解をうることができなかつたが、以前から免許証を取つたら自動車を貸してやるといつていた達明の言を信じて丁度誰でも自由に出入できる被告倉田の自宅裏庭にシートをかぶせておいてあつた本件自動車のドアに鍵がかかつていず、点火装置の鍵もはずしてなかつたので自動車学校に免許をとつた報告にゆくため本件自動車を運転し、その運行中本件事故の発生をみるに至つた。
以上の認定事実によれば、被告岡戸は被告倉田が本件自動車の使用を許していた次男達明の事前の承諾のもとに本件自動車を運行したものというべく、それを可能にしたのは被告倉田に自動車の格納鍵の保管等管理上の過失があつたからにほかならないというべく、被告倉田の主張するとおり、被告倉田において被告車を被告岡戸が運転するについて同意を与え、あるいはこれを諒知した事実がなかつたとしてもそのことから直ちに被告倉田が有する被告車に対する一般的な支配力が排除されたものとは認めがたい。すなわち、依然として被告倉田は被告岡戸を通じて被告車に対する支配力を有し、自己車を自己のために運行の用に供するものとしての地位を失うことなく、これを持ち続けその運行によつて本件事故を発生させたものといわなければならない。従つて、被告倉田は自動車損害賠償保障法三条にいわゆる運行供用者として、本件事故によつて原告等がうけた損害を賠償する義務がある。
四財産的損害
(一) 休業補償一六〇、〇〇〇円
<証拠>を併せ考えると、原告は昭和四〇年四月一日に八興商事株式会社に入社し、同社から月給五〇、〇〇〇円を支給されることになつていたこと及び本件事故により本件事故の翌日から九月一一日迄休業を要し、稼働できなかつたことにより四月から八月迄の間右月給額相当の収入を得られなかつたことが認定できるので、原告真一は本件事故により被告岡戸の養父岡戸靖夫から弁償を受けた金九〇、〇〇〇円を差し引いた金一六〇、〇〇〇円の得べかりし利益を喪失したものといわなければならない。
(二) マッサージ治療費三五、二〇〇円
<証拠>を併せ考えると、原告真一は本件交通事故による受傷の結果マッサージ療養の必要を見るに至り昭和四〇年七月四日から昭和四一年四月中迄の間下川針灸院で治療をうけその治療費として合計金三九、二〇〇円を支払つたことが認められそのうち被告岡戸の養父岡戸靖夫から弁償をうけた金四、〇〇〇円を差引いた三五、二〇〇円の損害を蒙つたこととなる。
(三) 温泉療養費四八、六四三円
<証拠>を併せ考えると、原告等が本件事故による傷害の療養のため山梨県下部温泉に逗留し、原告ら六名分の宿泊費として金五八、三七二円を支払つたことを認定できるが、右金員は六名分の費用であるのに、原告等は五名であるから、その六分の五にあたる四八、六四三円が原告等に要した費用といわなければならない。なお、原告真一は右温泉行の交通費として金四、〇〇〇円計上しているがこれを認めるに足る証拠はない。
(四) 付添交通費
原告真一は原告久子を倉田病院に通院させた交通費として金二、〇〇〇円を要したと主張するが、それを認めるに足りる証拠はない。
(五) 家事労働力の喪失五二、〇〇〇円
<証拠>によれば、原告桃江は本件受傷のため昭和四〇年四月四日から五月末日迄少くとも五二日間家事労働に従事できなかつたことが認められる。主婦の家事労働力の価値は一日金一、〇〇〇円と算定するのを相当とするから、原告桃江は金五二、〇〇〇円のうべかりし利益を喪失したものといわなければならない。
(六) 精神的損害
<証拠>を総合すると次の事実を認定することができる。
原告真一は、本件事故による受傷のため湘南中央病院に救急入院したこと、次いで昭和四〇年四月八日から倉田病院に転院して治療をうけ(この点当事者間に争いない)七月四日に退院してからも九月一二日迄マッサージのため下川針灸院に通院し九月一三日から漸く会社に出勤するようになつたこと、その後も時々マッサージの治療を受けているが、右膝関節自動運動領域の伸展、屈曲が通常人のように正常にゆかず後遺症として残つていること、原告桃江も原告真一と同様湘南中央病院と倉田病院で治療をうけ四月二八日に退院したものの自宅療養をやむなくされ、五月末頃まで家事に従事できなかつたこと、膝関節内側部に強い瘢痕治療創の後遺症が残つていること、また原告一正も原告真一、同桃江と同様湘南中央病院、倉田病院と治療をうけ、四月二〇日に退院したものの顔面挫切創部の傷痕は後遺症として残つていること、原告久子、同千代子もそれぞれ本件事故による受傷のため、原告久子は四月三〇日迄原告千代子は四月八日迄それぞれ通院したほか、本件事故のためそれぞれ約一週休校したこと、以上の事実が認められる。
右事実から窺える本件事故の態様、前示負傷及び後遺症の程度及び被告岡戸の養父岡戸靖夫が原告等の治療代、休業補償の一部を支払つている事実その他諸般の事情を参酌すると原告等の精神的損害を慰藉するには原告真一については六〇〇、〇〇〇円、原告桃江については二〇〇、〇〇〇円、原告一正については一五〇、〇〇〇円、原告久子、同千代子については各四〇、〇〇〇円をもつて相当とするというべきである。
六過失相殺
被告岡戸は原告等にも過失があつたと主張するので判断する。まず、原告真一の運転する原告車が中心線を越え、或は中心線ぎりぎりを走行していたとの点についてはこれを認めるに足る証拠はなく、かえつて<証拠>によると原告真一は中心線の左側を走行していたことが認められるので同原告には通行区分ないしいわゆるキープレフトの原則に違反した過失はないことが認められる。
つぎに、原告真一の運転する原告車に五名乗車していたことは当事者間に争いなく、原告真一本人尋問の結果によれば原告車の定員が四名であることが認められるが、本件事故の発生は、前示のとおり被告岡戸の一方的過失により惹起されたものであり、定員オーバーしたとしてもそれが本件事故の発生と何らかの関連をもつことについてはなんらの証拠はないから、過失相殺の対象となる過失というをえないものである。
よつて、被告岡戸主張の過失相殺の抗弁はいずれも理由がない。
七結論
以上によつて、被告等は各自原告真一に対し金八四三、八四三円、原告桃江に対し金二五二、〇〇〇円、原告一正に対し金一五〇、〇〇〇円、原告久子、同千代子に対し各四〇、〇〇〇円及び原告真一に対する金員中金八〇八、六四三円については本件不法行為日の後たる昭和四〇年九月一日以降、同内金三五、二〇〇円についても同様昭和四一年五月一日以降各完済迄、原告桃江に対する金員については同様昭和四〇年六月一日以降完済迄、原告一正、同久子、同千代子に対する金員については本件不法行為日たる昭和四〇年四月三日以降完済迄それぞれ民法所定年五分の割合による遅延損害金を支払う義務がある。
よつて、原告等の本訴請求は右限度で正当であるからこれを認容し、その余の請求はいずれも失当として棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条本文を、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用して主文のとおり判決する。(田口邦雄)